「ニューヨークの恋人」観た
タイトルの通り。ジャンルはラブコメ。
感想、とても面白かった。笑った。
ざっくりしたあらすじは、以下の通り。
1876年のニューヨーク。貴族のレオポルド公爵は、ブルックリン橋で挙動不審な怪しい男性を追いかけていくうちに、現代のニューヨークへとタイムスリップしてしまう。当初は、歴史と文化の違いに戸惑うものの、居ついたアパートで知り合ったキャリアウーマンのケイトや、ケイトの弟チャーリーと過ごすうちに徐々に現代の生活になじんでゆく。そしてケイトと恋に落ちるが、過去の人であるレオポルドは元の世界に戻ることを決意する。
(ウィキペディア『ニューヨークの恋人』の項より、2015.11.06現在)
前提を置かせて下さい。
コメディ映画には、2つの視点があると思う。
1つはコメディの視点、もう一つはコメディがくっついてるものの視点。
コメディって、それ単独で成立するものは少ない。何かにくっつく。
例えばラブストーリー、ヒューマンドラマ、SF、等々。
「笑いだけです」っていう映画は少ないんじゃないかなあ。
この映画で言えば、これはラブコメだから、ラブの視点とコメディの視点で分割しようと思えばできてしまう。分割して観ると、楽しい部分が純粋に楽しめる。
それを踏まえた上でこの映画の感想を言うとすれば、
コメディ要素はすごくおもしろかったー笑
レオの持つ過去の文化とケイトのもつ現代の文化の”違い”
この”違い”というものがあるからこそ、とても笑える面白いものになってた。
笑いを改めて言語化すると無粋な感じになってしまうからあまり言わないけど、
レオがまじめに振る舞えば振る舞うほど、その振る舞いと現代の文化とのギャップが笑いに変わる。過去と現代ではなく、個人と社会間での違いや集団間の違いも、それがまじめな振る舞いならば笑いに変えちゃえばいいのに。あいつはおかしい、あの集団はおかしい、というのは確かに危険な集団やアブナイ人への警戒心としてもっておいてもいいけど、違いっていうのは楽しみの材料にもなるんだよ、て言われてる気がした。
ラブ要素については、なんか大変だなあ、と思った。コメディを成立させるためにご都合主義?なってて、でもこの都合あわせがないとコメディはなかったし、ぜんぜんいいんだけども、まあ、現実の恋愛はこうはいかないよなあ、なんて思ってしまった部分も。具体的に何が不満か、っていや別に不満なんて全然ないんだけど、もしリアルとこのフィクションの違いを言うとしたら、(ほんのちょっとネタバレ、以下注意)最後、ほんとにあれで良かったの?あれで良かったとして、あれは(リアルに照らすのが許されるとしたら)ハッピーエンドなの?
…、ぐちゃぐちゃ考えたけど、映画的にはとってもハッピーエンド。あのエンドがあるから僕はこの映画が大好き。でも、リアルはああはいかない。そして、ああはいかないからこそ、リアルの恋愛は多分楽しいんだ。って思ってしまう僕の恋愛観は多分悲観的。
メグ・ライアンはチャーミングな?楽しい演技をする人だね。なんか可愛いと思ってしまったし、面白かったし、みていて楽しい気分になれる演技だった。彼女の他の、また違ったキャラの演技を見てみたいと思った。ヒュー・ジャックマンは「レ・ミゼラブル」で1回見てたけど、気迫というか迫力、オーラ、みたいなのを出すシーンが好きだ。「おお」って押されるあの感じは彼独特のものだろう。一方で、紳士的な優しさもこの映画での見所だと思うんだけど、その優しさ・柔らかさはあの気迫があればこそのものだとも感じた。
終わり。