「ショート・ターム」を観た
今、準新作でレンタル中の映画。内面に傷を負った
あらすじ:
問題を抱える子供のためのグループホーム「ショートターム12」で働くグレイス(ブリー・ラーソン)。グレイスは、新入りのジェイデン(ケイトリン・デヴァー)という少女を担当することになる。グレイスは施設の同僚メイソン(ジョン・ギャラガー・Jr)と付き合っていたが、ある日、妊娠していることが判明する。そんな中、グレイスはジェイデンが父親に虐待されていたことに気付き……。
(解説・あらすじ - ショート・ターム - 作品 - Yahoo!映画 より 2016.01.15現在)
1回観ただけでは分からなかったな、というのが正直なところ。
だから、この映画の悪い(と思う)ところは言えないな。
ただ、「幸福感を味わえる」というキャッチフレーズがあったけど、
それは感じられなかったなあ、少々残念。
浅い理解しかないけど、こんな状態でも、とりあえず感想を言ってみようと思う。
なぜ僕は幸福感を感じられなかったのか。考えてみた。
それは、映画の最中ずっとひやひやしていたから。
「いつ大事が起こってしまうのだろう」みたいな。
この記事を書いてる今、実際にこの話を観てから1ヶ月ほど経ってるけど、
1番印象に残っている感覚は、安心感や幸福感ではなく、不安(定)感。
あの施設にいる子どもたちやケアテイカーとしての若者、
それから子どもたちの親や施設の管理人のおじさん、
おじさんの更に上の地位の人たち…。
人々の間には、ものすごく微妙で繊細な関係性の積み木があった。
この積み木は、ものすごくいびつに積み上げられていて、
でもそれらは乱暴な、「まあこんなもんでいっか」という気持ちで積み上げられた
ものなどではなく、ものすごく丁寧に丁寧に積み上げられたもの。
どんなに丁寧に積み上げてもいびつで、すぐにでも崩れてしまいそうな積み木。
観ているこちらとしては、いつかこの積み木が崩れやしないかと不安になる。
現実の、自分の人間関係と重なるところがあるな、なんてたまに思ったり。
終始いびつのまま、案の定、時に小さく、時に大きく崩れたりしながらの
積み木のままで話は進んでいく。形が整うことはない。
観ていると、こんな思いに至った。いびつなのは、人間関係だけなのだろうか。
僕たちは大なり小なり内面に傷を負っている。いびつなのは関係だけではなく、
その関係を築く僕たちそのものも、だ。とすれば、どんな積み木だっていびつ
なのだし、積み木の形に正解はない。
もしかしたら、積み木がいびつでも、またが積み木が崩れてしまったとしても、
「これが私たちの積み木なのだ」「これが私たちなのだ」という一種の受容を
垣間見ること、これがこの映画の幸福感の正体なのかもしれない。
と思ったところでもう一度あの映画を思い出してみても、「やっぱりいびつだなあ、
いつ崩れるか気になって安心できないなあ」となってしまう。明らかにありきたりなハッピーエンドではないので、特殊な映画なのですが、それでも幸福感は味わえる(らしい)ので、気になる方は一度観てみる価値が大いにあると思います。