映画のはなし

観た映画のメモ

「美女と野獣」を観た

これも去年(2015)のクリスマス直前に観た。ディズニー映画は、「アナ雪」と「ラプンツェル」を観て非常におもしろかったので、そこから派生してディズニーの名作を観てみたくなったのだった。

 

あらすじ:

第64回アカデミー賞でアニメとしては初の作品賞にノミネートされたディズニー・アニメ。魔女によって醜い獣の姿に変えられた王子が住む城。そこに、ひとりの老人が迷い込む。老人を捜していた彼の娘もやって来る。娘は自分が住み込みの奉公をする代わりに、父を解放してもらう。野獣は娘とともに暮らすうちに少しずつ人間の心を取り戻していくのだが……。

(解説・あらすじ - 美女と野獣 - 作品 - Yahoo!映画 2016.01.07現在より)

 

野獣にされてしまった王子様。なぜ野獣にされたかというと、心が醜かったから。心の醜さが魔女の逆鱗に触れたから。でも、魔女は元に戻る余地を残してくれた。それは、優しい心で誰かを愛し、さらにその人から愛されること。そしてこの条件は、タイムリミット付きのものだった。

 

野獣になった王子様、最初はすごく威張っていたなあ。でも、「威張る人は実は自分に自信がないんだよね」という話をよく聞くけど、その通り。野獣は他人が自分の思い通りにならない度にウジウジ落ち込んでる。自信を打ち砕かれ、傷付いている。そんでもって、元々の威張り性に加えて、野獣になった自分の姿への自意識があるもんだから、「こんな醜い見た目だからダメなんだ」と言っている。吠える→打ち破れる→落ち込む・ふてくされる。そして見た目のせいにする。観ている人は、「見た目じゃなくて中身がダメなんだけどなあ」と思う。しかし、これを繰り返す内に、この野獣は学習能力があるから、だんだん「まともな人間性」を備えていく。観ている人も、だんだん野獣がかっこよく見えてくる…。

 

映画はこうして展開していく。「人は見た目より中身!」「優しい心が大事!」等々。これがこの映画の肝なんだろうけど、現実には「僕は自分に自信がない」「中身が大事なのは分かるけど、私はその中身が醜いの」等々、こういう人間もいる。自分の内面が醜いと思っており、「見た目より中身」ということも分かってる。だからこそダメなんだと思っている。料理とかもさ、「見栄えより味が大事」だよね。なのにその味がダメならダメダメになっちゃうよね。どうすりゃいいのさ!って、追い込まれてしまうさそりゃあさ。

 

え、ほんとどうすりゃいいの?まあ、料理の例で考えたら端的に「味を磨き上げればいいじゃん」ってなるよね。「味はまずいけどこの料理を食べて下さい」ってのは違うと思うし、「味はまずいけど食べて欲しい」もちょっと違う。「自分なりに味を磨いて、いずれ『おいしい』と言ってくれるその人が現れたら、その人を大切にしたらいいんじゃないの」って所に落ち着くような気がする。まあ、一方その相手の人も自分とっては、自分に出された料理であるわけで、自分がその料理をおいしいと感じるかどうかというのも大事なわけだけど。(料理の例の話です、隠喩ではありません)

 

あと、「中身が醜いんです」ていうのは、野獣の、「吠える→打ち破れる→落ち込む・ふてくされる」の中の「落ち込む・ふてくされる」という段階とあんまり変わらないんじゃないかなあ。どっちにしろ、いいことないよなあ。

 

おいしそうな見栄えを備えること、そして食べた時においしいと思ってもらえる味であること、どっちも大事。でも、どっちの方がより大事かって言ったら、味。多くの人は、味がおいしいことに満足感を覚える。…じゃなくて、すみません。確かに逸れも大事だと思うけど、僕がここで言いたいのは、味も見た目と同じく、磨けるものなんだから磨いたらいかがか、ということ。

 

中身や心、つまり内面も、今より洗練させる方向に頑張るのだ、と考えてみるのはどうか。

 

※まあ、現代はどういうのが「洗練された状態」なのかが分かりにくい、もしくはそんな状態なんてない、という時代になっているのかもしれない、ということは「風と共に去りぬ」のところで書いた。難しいですね、複雑ですね色々なことが。

 

おわり