映画のはなし

観た映画のメモ

「ミセス・ダウト」を観た

洋画のコメディ。どういう理由で「観たいリスト」に加えた映画だったんだっけ。ダメ人間が活躍する映画、だったような気がするなあ。希望を持ちたい時期があるんだよね。ダメ人間でも、いやダメだからこそ人生楽しめる生き方がある、みたいに。発作のようにそんな思考が沸いた時に見つけた作品だったような気がする。

 

以下あらすじ:

 R・ウィリアムズ扮する“ダウトファイヤー夫人”の姿が話題を呼んだホーム・コメディ。離婚によって子供たちと引き離されてしまった売れない役者の夫が、我が子といつも一緒にいたいがため、おばさんに変身。メイドとして家に潜入するのだが……。

(解説・あらすじ - ミセス・ダウト - 作品 - Yahoo!映画 より、2015.11.26現在)

 

ダメダメな夫がダメダメゆえに離婚を言い渡され、大好きな子どもたちと一緒にいられなくなってしまう。そこで、おばさんに変装し、シッターとして家に潜入、基本コミカルに、時にシニカルに、そして最後には、みたいな話。

 

ダメ人間なりにエンターテイメントの才能があるので、変装や声真似(変声?)は得意だし、人を喜ばせたり楽しませたりする才能もあって、これがストーリーが進むために大事な要素になってたりする。確かに主人公はダメ人間だけど、エンタメの才能とかいう割と好ましい才能は持っているので、僕が想像するダメ人間よりはダメじゃなかった。

 

まあそれはいいとして、僕が思ったのは2つ。まず1つは、日本のコメディと洋画のコメディの違い。それと、最後、この映画の終わり方について。(なるべくネタバレしませんが一応注意しておいてください。)

 

邦画と洋画のコメディ

いや、完全に個人的な感想になってしまうけど、邦画と洋画のコメディは全然違う。日本のは笑えないのが多い。何でだろうってずっと考えてたけど、多分、分かった。その理由はこんな感じ。

日本のコメディでも洋画のコメディでも、どちらも観る人を笑わすために派手な演出や演技をするんだよね。で、邦画でそれを見ると「日本人こんなことしねえだろ」って思う。現実とかけ離れ過ぎていて、違和感の方が大きくなって、しらけてしまうのだ。一方、洋画の方は普段の外人がどんなんか知らないので「こんなもんなのかな」って無意識に受け入れてる部分が多いんだと思う。違和感が浮上してこない。だからしらけることが少ないんだと思う。

だから、もし外人の普段の様子とか知って、映画の振る舞いが現実とかけ離れ過ぎていると感じることがあったら、もしかしたら洋画のコメディも笑えなくなってしまう可能性はある。うん、そう、個人的な感覚に基づいてるよね。共感できる人だけ共感して。

 

ラストについて

 ネタバレ気味になってしまうけど、ラスト、終わり方が他の映画、特に他のコメディ映画とはちょっと違う。丸く収まると思いきや、こちらが思った通りには収まっていない。ハッピーエンドなんだろうけど、普通のハッピーエンドとは違う。多分、「このエンドをハッピーエンドって捉えて欲しい」というのがこの映画に込められたメッセージだと思う。

主人公の息子役を演じたマシュー・ローレンスが、役者インタビューでいいことを言っている。「あの終わり方はこの映画にリアリティを持たせている。この映画の終わり方は、人生がなにも完璧である必要はないということを教えてくれている。」

丸く収まらなくても幸せじゃん?てかそもそも丸く収まるって何?どうなれば丸く収まったと言えるの?

…映画の一般的なハッピーエンドじゃなくても、完璧じゃない選択の結果から起こった現実からでも、僕たちは幸せをつくっていける。たとえば、恋愛映画では気持ちの離れた二人の気持ちが再びくっつくことで幸せな、ハッピーなエンドになる。しかし、気持ちがくっつかないと二人は幸せになれないわけじゃない。別れた後も、二人はそれぞれで幸せになる道もある。で、現実の恋愛はだいたいこっちだ。…みたいな。

この映画のラスト、僕は好きだ。「完璧じゃないといけない」って思いがちな僕のような人は、こうやって「完璧じゃないもの」に沢山触れないといけないのかもしれない。

 

この映画のダメ夫のダメさはちょっとコミカルだったので、今度は人間のダメさにもっとリアリティが吹き込まれている映画を観てみたいな、って思った。

 

おわり。