映画のはなし

観た映画のメモ

「風と共に去りぬ」を観た

映画好きを表明したいなら、昔の名作を教養として観ておかないと…ということで、映画に興味を持ち始めてからそのあたりも観ようと努力してるわけです。古典。でもね、昔の名作って長編が多いの。観るのが結構大変。「ベンハー」や「ロッキー」は4時間越えるんだっけ?今回の「風と共に去りぬ」も4時間弱。休憩挟んで観るしかないね。

 

あらすじ:

南北戦争勃発寸前のアメリカ。南部の大富豪の娘にして、絶世の美女スカーレット・オハラは、名家の御曹司アシュレー(レスリー・ハワード)に思いを寄せていた。しかし、彼が別の女性と結婚するといううわさを聞いてしまい、嫉妬からとんでもない行動を取ってしまう。

解説:

1939年に製作され、アカデミー賞主演女優賞を始め10部門に輝いた不朽の名作。大富豪の令嬢スカーレット・オハラが、愛や戦争に翻弄(ほんろう)されながらも、力強く生き抜く姿を描く。66年の歳月を経てデジタル・ニューマスター版となった本作は、最新の技術により当時の鮮明な映像を再現することに成功した。ヒロインを演じたヴィヴィアン・リーのチャームポイントであるグリーンの瞳が、より一層魅力的に輝いている。

(解説・あらすじ - 風と共に去りぬ - 作品 - Yahoo!映画 より、2015.12.10現在)

 

この作品を「名作だ」と理解するためには色々と教養が必要なのかな、と思った。

 

僕はお恥ずかしながら南北戦争のことは分からないし、南北戦争が起こった時代のあれこれも分からないし、製作年の1939年当時のことも分からない。一切分からない。

これらについての知識があればあるほど、この映画の見応えは上がる気がする。というか、史実的な側面をもっている映画はたいていそんな感じがする。

 

以上のような状態ですので、いつも以上に「観たまんまの感じ」で感想を書く。

 

何書こうか。現代の「男らしさ」「女らしさ」について思ったことを書く。 

主人公のオハラは気がめちゃめちゃ強い女性なのだけど、これ、多分当時の女性としてはかなり常軌を逸していたよね。男性は紳士たれ、女性は淑女たれ、という気配が劇中何度も漂うなか、終始一貫してオハラは男勝り発揮していた。

今でこそ肉食、じゃないけどこう、強気な女性は全く珍しくはないんだけど、分からないなりに時代背景を察するに、やっぱり、昔は女性は「おしとやかさ」「上品さ」のようなものが求められていたんだろうよ。そんななかでのあのオハラ、すごい。

 

現代はそういう「~らしさ」の圧迫?みたいなものはだいぶ薄まって、草食やらロールキャベツやらニューハーフタレントやらが登場し、強烈なカテゴライズへの枠の押しはめは昔に比べたら弱まった。でも、強烈なカテゴライズが弱まったことによって目指すべき目標もまたなくなったのかもしれない。男たちはいわゆる「男らしさ」をとにかく目指せば良いんだ、というわけではなくなったし、女性もまた然り。どういうアイデンティティをもてば安心になるのか分からなくなっているから、アイデンティティの役割も曖昧になってきた。正解がわからない、というか正解があるのかどうか分からないから、正解を目指す気も失せてくるし、正解というものの意義も弱くなっている。

 

僕は登場人物の1人、女の扱いに長けた紳士、そして優秀な戦士でもあるバトラーという男を見ていてかっこいいなと思ったけど、今の世の中でああいう男になれたからといって無敵(あらゆる女性にモテるよう)になるわけではない。多種多様な価値観が認められる社会、というのは一見聞こえが良いけど、そういう社会になっていくにつれて僕たちが頑張ったり耐えたり、或いは認識を変えたりしないといけない部分があるのかもしれない。まあ、それでもある程度の「有利になる特徴」は残る気もするけど。

 

おわり。

 

 

「電車男」(映画版)を観た

僕はオタクではないけれど、クラスの中心からほど遠いような存在だったんで、この映画の主人公には共感できるかもしれないと思って、観てみたわけである。

 

以下あらすじ:

電車内で暴れる酔っ払いから女性(中谷美紀)を助けたオタク青年、通称・電車男山田孝之)。彼女に心惹かれた電車男だったが、これまで女性に縁がなかったので、どうしたらいいかわからない。そこで彼はインターネットの世界に助けを求め……。

(解説・あらすじ - 電車男 - 作品 - Yahoo!映画 より、2015.12.19現在)

 

「女性に縁がなかったので、どうしたらいいかわからない」に共感が持ててしまう。経験値がないとほんと分からないんだよなあ恋愛というのは…。

 

この映画を観て、同じ“経験値がない”という状態でも大きく2つに道が分かれるよな、って思った。その恐らくだめだめな状態からでも、それでも頑張るっていう道に進むか、それともだめだめだからもうだめだっていう道に進むかの2つ。

何も変えたくないんなら後者の道のほうが良いのかもしれない。なぜなら、後者の道、つまりもうだめだと諦める道の方が何も変わらない可能性が高いから。自分も相手も、それを取り巻く状況も。それならそれで皮肉抜きで本当に良いと思う。

でも、変えたいなら前者の、飛び込んでいく道の方が良いと思う。いや、飛び込むというか、飛び込んで、もがき続けるって言う方が正しいかな。ただ飛び込む、そして後は流れに身を任せる、というのは自分の力要求されるのが飛び込む瞬間だけだから意外と楽なんだよな。

恋愛で、恋愛における自分を変えるには飛び込んで、さらにその後ももがく、頑張るっていうことが必要だから、それが苦痛と感じる人にはとても苦痛で、多分そういう人はそう感じているうちは恋愛しなくても良いんじゃないかと思う。もちろんしても良いけど。そうやって苦しむうちに楽しくなってくるかもしれない。

本来、恋愛って楽しいもののはずでしょう。恋愛は良いものだと思っていたけど実は苦しいものでしかない、とかいう人がいるなら、そうやって勝手に苦しむのはいいけど、他人の恋愛の楽しみは邪魔しないでほしい、って思うくらい、恋愛は本当は楽しいものだと思う。

でも、楽しみに固執して、「本来恋愛は楽しいもののはずなんだ、だから頑張らないとだめなんだ」ってなって、苦しい恋愛を楽しみに変えようと頑張るのも違うと思ってしまう。楽しい恋愛は楽しもうとしなくても楽しいと思うから。

 

この映画の主人公は、頑張る方を選んだ。羨ましや、その勇気。僕だったら多分諦めてただろうなと思う。だって本当に住む世界が違うんだもの。「好きです」って飛び込むまではできるかもしれないけど、僕だったらその後は劣等感との戦いになってしまうだろうな。って感情移入してあれこれ考えてしまうほど、この映画はリアルでもあった。

 

おわり。

「塔の上のラプンツェル」を観た

アナ雪を以前観たんだけど、すごく良かったんだこれが。ディズニーってすげぇな、と思った。あの感動をもっと味わってみたくて借りてきたのがこれ、「塔の上のラプンツェル」です。

 

以下あらすじ:

深い森に囲まれた高い塔の上から18年間一度も外に出たことがないラプンツェルは、母親以外の人間に会ったこともなかった。ある日、お尋ね者の大泥棒フリンが、追手を逃れて塔に侵入してくるが、ラプンツェルの魔法の髪に捕らえられてしまう。しかし、この偶然の出会いはラプンツェルの秘密を解き明かす冒険の始まりのきっかけとなり…。

(解説・あらすじ - 塔の上のラプンツェル - 作品 - Yahoo!映画 より2015.11.28現在)

 

子どもの時に観たかった映画だったなあ。なぜなら、これはおとぎ話だから。「理想論だろこれ!現実は違うんだぜ!子供だましだろ!」って部分がところどころあった。でも、そんなシーンも人によっては勇気づけられる力を持っている。子どもの頃に観ていたら、きっと心に刻み込まれる、大切な物語になっていたに違いない、そんな映画だと思います。

 

これも、「スラムドッグ$ミリオネア」と同じく、観れば分かる映画というか何というか、多分僕よりもいい感想書いてくれてる人が沢山いると思うので、それらを参照して欲しい。(筆が乗るのは、誰よりも僕は感動した!とか、多分こう思ったのは僕だけ!とか、或いは、これだけは言いたい!って思った時なんだよね。)

 

「スラムドッグ$ミリオネア」を観た 

重たい話とか、考えさせられる話を探していて、この映画にたどり着いた。

 

 

以下あらすじ:

テレビ番組「クイズ$ミリオネア」に出演し、賞金を獲得したジャマール(デヴ・パテル)だったが、インドのスラム街で育った少年が正解を知るはずがないと不正を疑われ逮捕される。ジャマールになぜこれほどの知識があり、この番組に出演するに至ったのか。警察の尋問によって、真実が明らかになっていく。

(解説・あらすじ - スラムドッグ$ミリオネア - 作品 - Yahoo!映画 より2015.11.27現在)

 

ご存知の方多いだろう、日本ではみのもんたさんが司会を務めていたクイズ$ミリオネア、インド版のこの番組にスラム育ちの青年がチャレンジ。この青年、なんと最後の1問に至るまで全て正解を選び出す!でも、ことごとく正解を叩き出していく彼に不審の目が向けられてしまい、「インチキだ!教育を受けていない若者が正解できるはずがない!」という理由で逮捕されてしまう。逮捕され尋問を受ける彼だが、そこで彼はそれまでの人生を語り始める。スラムで生まれ育ち、様々な困難を生き抜いてきた彼の人生を。

 

映画の中でいろいろ起こりすぎてて、正直どこをピックアップしていいのか分からない。それくらい目まぐるしいし、言い方を換えればそれくらい退屈しない映画なのである。

 

この映画で個人的に特筆したいことはあんまりない。もうこの映画は観たら分かると思う、大事なメッセージはみんな観たら共通して受け取れる映画だと思うので、観てない皆さんにはぜひ映画を観ていただくということにして、ここでは個人的な枝葉の部分をチョロっと書いておこうかな。

 

…といっても、特に枝葉の部分もないことに気付く。ほんと観たまんまの感想でそれ以上でもそれ以下でもないんだが、それをどうまとめたら良いのか分からない。

 

観てない人、おすすめです。観たら分かります。メッセージを訴える映画ではなく、淡淡と語るタイプの映画です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミセス・ダウト」を観た

洋画のコメディ。どういう理由で「観たいリスト」に加えた映画だったんだっけ。ダメ人間が活躍する映画、だったような気がするなあ。希望を持ちたい時期があるんだよね。ダメ人間でも、いやダメだからこそ人生楽しめる生き方がある、みたいに。発作のようにそんな思考が沸いた時に見つけた作品だったような気がする。

 

以下あらすじ:

 R・ウィリアムズ扮する“ダウトファイヤー夫人”の姿が話題を呼んだホーム・コメディ。離婚によって子供たちと引き離されてしまった売れない役者の夫が、我が子といつも一緒にいたいがため、おばさんに変身。メイドとして家に潜入するのだが……。

(解説・あらすじ - ミセス・ダウト - 作品 - Yahoo!映画 より、2015.11.26現在)

 

ダメダメな夫がダメダメゆえに離婚を言い渡され、大好きな子どもたちと一緒にいられなくなってしまう。そこで、おばさんに変装し、シッターとして家に潜入、基本コミカルに、時にシニカルに、そして最後には、みたいな話。

 

ダメ人間なりにエンターテイメントの才能があるので、変装や声真似(変声?)は得意だし、人を喜ばせたり楽しませたりする才能もあって、これがストーリーが進むために大事な要素になってたりする。確かに主人公はダメ人間だけど、エンタメの才能とかいう割と好ましい才能は持っているので、僕が想像するダメ人間よりはダメじゃなかった。

 

まあそれはいいとして、僕が思ったのは2つ。まず1つは、日本のコメディと洋画のコメディの違い。それと、最後、この映画の終わり方について。(なるべくネタバレしませんが一応注意しておいてください。)

 

邦画と洋画のコメディ

いや、完全に個人的な感想になってしまうけど、邦画と洋画のコメディは全然違う。日本のは笑えないのが多い。何でだろうってずっと考えてたけど、多分、分かった。その理由はこんな感じ。

日本のコメディでも洋画のコメディでも、どちらも観る人を笑わすために派手な演出や演技をするんだよね。で、邦画でそれを見ると「日本人こんなことしねえだろ」って思う。現実とかけ離れ過ぎていて、違和感の方が大きくなって、しらけてしまうのだ。一方、洋画の方は普段の外人がどんなんか知らないので「こんなもんなのかな」って無意識に受け入れてる部分が多いんだと思う。違和感が浮上してこない。だからしらけることが少ないんだと思う。

だから、もし外人の普段の様子とか知って、映画の振る舞いが現実とかけ離れ過ぎていると感じることがあったら、もしかしたら洋画のコメディも笑えなくなってしまう可能性はある。うん、そう、個人的な感覚に基づいてるよね。共感できる人だけ共感して。

 

ラストについて

 ネタバレ気味になってしまうけど、ラスト、終わり方が他の映画、特に他のコメディ映画とはちょっと違う。丸く収まると思いきや、こちらが思った通りには収まっていない。ハッピーエンドなんだろうけど、普通のハッピーエンドとは違う。多分、「このエンドをハッピーエンドって捉えて欲しい」というのがこの映画に込められたメッセージだと思う。

主人公の息子役を演じたマシュー・ローレンスが、役者インタビューでいいことを言っている。「あの終わり方はこの映画にリアリティを持たせている。この映画の終わり方は、人生がなにも完璧である必要はないということを教えてくれている。」

丸く収まらなくても幸せじゃん?てかそもそも丸く収まるって何?どうなれば丸く収まったと言えるの?

…映画の一般的なハッピーエンドじゃなくても、完璧じゃない選択の結果から起こった現実からでも、僕たちは幸せをつくっていける。たとえば、恋愛映画では気持ちの離れた二人の気持ちが再びくっつくことで幸せな、ハッピーなエンドになる。しかし、気持ちがくっつかないと二人は幸せになれないわけじゃない。別れた後も、二人はそれぞれで幸せになる道もある。で、現実の恋愛はだいたいこっちだ。…みたいな。

この映画のラスト、僕は好きだ。「完璧じゃないといけない」って思いがちな僕のような人は、こうやって「完璧じゃないもの」に沢山触れないといけないのかもしれない。

 

この映画のダメ夫のダメさはちょっとコミカルだったので、今度は人間のダメさにもっとリアリティが吹き込まれている映画を観てみたいな、って思った。

 

おわり。

 

 

 

「恋におちて」を観た

映画やドラマやアニメを観る上で、演技力というのは僕にとって非常に楽しみなポイントだ。この「恋におちて」は、主演二人による極上の上の上の演技力が味わえる映画だったので、僕にとってはもう脚本とか映像とかはどうでもよかった。兎にも角にも、この映画の味は演技力に凝縮されていたと僕は感じた。

 

以下あらすじ。

 いくつになっても変わることのない恋愛感情を、デ・ニーロとストリープの名優を共演させ、実に自然なムードで展開するロマンチックな大人の純愛(不倫?)作品。クリスマス・イヴのニューヨークの書店で運命的な出会いをしたフランクとモリー。ふたりは同じ通勤列車に乗り合わせた事をきっかけに急速にお互いを意識し始め、デートを重ねる度に精神的に魅かれ合って行く。だが、それぞれには申し分のない家庭があり、いけないと思いながらも互いの感情を抑えられなくなってきた頃、双方の家族に浮気がばれてしまい……。

(解説・あらすじ - 恋におちて - 作品 - Yahoo!映画 より、2015.11.22現在)

 

あらすじには「(不倫?)」って書いてあるけど、ほんとに「?」って感じ。つまり、不倫なのか不倫じゃないのかなんとも言えない。カラダの関係がないってのがややこしさの根源だね。キスはしてるけど。えええ、どんなんだろう、僕は経験値が少ないからよく分からないよ;

まあとりあえずね、分かりやすいヤったヤラないってのがなくて恋愛における心の機微が描かれている映画だから、僕が大好きな「演技力」なるものがものをいう映画なんですよってことを言いたかった。

 

メリル・ストリープロバート・デ・ニーロ

この映画のヒロイン役を演じている女優ストリープと、その浮気相手役を演じるデ・ニーロ。この二人の演技がすごかった。二人が演技で何気なく放つ細やかな一挙手一投足、またそれによって醸し出される深い味は、本当にこの二人にしかできないんだろうなと感じさせる。

特に目立って(しかし決して派手ではなく)すごいのがストリープの演技。顔のアップとか、細かいセリフの言い方とか、本当にそう感じているんだろうな、そう思っているんだろうなって思っちゃうくらい、感情が伝わってくる。観ている側の「女優さんが演技している」という感覚を一滴も残さず消し去ってしまうように。僕は彼女(の演技)を見て「少女のように恋をした大人の女性」を、そしてその醜さと美しさを存分に感じ、味わわせてもらった。

また、そんなストリープの演技がこんなにも遺憾なく発揮されたのは、デ・ニーロという俳優の、これまたすごい演技力が放つ深い味によるものだと思っている。離れる時の寂しそうな、しかし紳士的な表情や仕草や、再開した時の子どもっぽさすら感じさせる喜んだ表情は、「久しぶりの恋愛を心の底から楽しむ大人の男性」を体現しているみたいだった。でももっとすごいと思ったのは、デ・ニーロの演技はほぼストリープを引き立てるものになっていたということ。あくまでもストリープが花、で。ニーロはそれをきれいに見せるための根・茎になっていた。デ・ニーロは彼女との演技の相性がいいことを語っているらしいけど、確かにその通りだと思う。衝突や対立が全く感じられず、ほんと心地いい調和って感じだった。

 

とにかく二人の演技がすごいと感じた映画だったんだよね。でも、ストーリーの良さはいまいちぴんとこなかった。僕はまだ結婚もしてないどころか恋愛経験だってほとんどないし、だから、あらすじにあるような「いくつになっても変わることのない恋愛感情」が分かるほど恋愛や人生において深みを持っていない。

いつかこの映画を、''感情が伝わってくる演技''だけじゃなくて、その''伝わってくる感情ごと''含めて理解できる日がくるのだろうか。

 

おわり。

 

 

 

「クワイエットルームにようこそ」を観た

星になった少年」のDVDに入っていた、最新リリース情報(本編の前に流れるやつ)におもしろそうな邦画がたくさんあって、邦画もいいかも!邦画も今後観ていきたいな!と思った。

というわけで、早速その最新リリース情報の中で紹介されてておもしろそうだったから借りてきた。精神病院が舞台の邦画、「クワイエットルームにようこそ」。

 

以下あらすじ。

28歳のフリーライター・佐倉明日香は、ある朝目覚めると見知らぬ白い部屋にいた。そこは「クワイエットルーム」と呼ばれる、女子専用の精神病院閉鎖病棟。ストレスの捌け口として大量摂取した睡眠薬が原因で意識を失い、オーバードースを患った自殺志願者と間違えられてしまったのだ。突如として放り込まれた異質な環境に戸惑う明日香であったが、尊大な看護師・江口や入院初日に出会った少女・ミキ、元AV女優の西野ら個性的な患者達と接し、次第に閉鎖病棟に馴染んでいく。同時に日常から離れた明日香は、自身とその人生を見つめ直し始める。退院に向けて、奇妙な仲間たちと過ごす14日間が始まった。

(クワイエットルームにようこそ - Wikipediaより、2015.11.21現在)

 

つまり、ストレス爆発してああもうやってられん!ってなって、やけくそで睡眠薬飲みまくったら死にそうになってしまった。病院へ搬送される。その死にそうになった行為が「自殺願望からの行為」と間違えられ、女子専用の専用病棟に入れられてしまったわけですな。自殺はさせちゃいかん!と。んで、そこにいた個性的で奇妙な患者たちと過ごした退院までの14日間を描いた映画、というわけですね。

 

 この映画を観て思ったのは以下3点ほど。まず僕は邦画のコメディには拒絶反応が 出てしまうということと、それと精神病院が舞台でもこういう映画が作れるのかってことと、あと蒼井優はなんかとても凄いってこと。

 

日本のコメディで笑いたいんだが…(笑えないのは僕が未熟だからかなぁ?)

 日本のコメディ、なんか馴染めないんだよなあ~。例えばさ、現実の人間関係でさ、ウケ狙いの必死なボケとか、そういう言動ってさ、おもしろいって感じられないと見てる方が心苦しくなっちゃうじゃない?いたいたしいな、みたいな。いつもまじめな人がさ、周りに打ち解けるために無理してはめ外したりする、みたいな。いやこれはほんのちょっと違うかな。

まあ、例外でおもしろい邦画のコメディもあるし、洋画のコメディの中にもおもしろくないと感じるものはあるけど、邦画のコメディには特に痛々しさを感じるものが多いんだよなあ。なんでだろう、このへん要考察です。でもどうしてもこの映画は、“ウケを狙っているのに”笑えるところが少なかったので、それが残念だった。(個人の感想に留めておきます。邦画のコメディ好きな人怒らないで。)

 

精神病院ってこんなんじゃなくない?でもそれがこの映画のいいところ

でも、精神病院が舞台の映画(以下「精神病院系の映画」)としては僕の中では新鮮だった。僕が今まで観た精神病院系の映画は洋画しかなくて、そのどれもが「シリアス」な雰囲気を漂わせることを忘れていなかった。精神病院と言えば心の状態が多くの人とは違う人が行くところで、それはつまりただならぬ雰囲気なのだろう、というイメージがある。先入観を持っている。(言葉が強いだろうか。)そのイメージを(良くも悪くも)描き出すということを怠らない。つまり、こちらの期待を裏切らない。

僕は実際に精神病院に行ったことすらないから、実際のそこがどういう雰囲気でどういうところなのかは一切分からない。だから、ここでは「暗いイメージがあるけど、実際は明るいよ」とかそういうことは一切言えない。でも、僕たちは精神病院をある程度の先入観で捉え、ある程度の先入観で扱っている。

この映画はそういう先入観を裏切っている。コメディだもの。明るいよなそりゃ。(笑えないけど。)精神病院とか鬱をあんなに明るく描いた作品って、実はこの映画だけなんじゃないの?そう考えたらすごいよな。

(でも、さすがに精神の疾患を描く時にシリアスさを完全に無くしてしまうとそれは今度こそ嘘になる。物語の中では、しっかりと人生を見つめ直したり、色々なものと真剣に向き合う姿も描き出されており、もちろんこれもこの映画の見所である)

 

蒼井優ってすごい演技力もってんのな

さて最後3点目。蒼井優は演技がすごいんだね。引き込まれるってのはこういうことかと。終始見とれていたよ。「星を見る少年」の時も思ったけど、演技がこう、すーっと入ってくる。観ている人を心地よくさせてくれる演技だと感じた。

余談ですが、そのうち「愛のむきだし」と言う邦画を観ます。演技がすごい女優としてもう一人、僕がハンパじゃないぞなと感じているのが満島ひかりという女優さんなんだけど、その演技、この映画でたっぷり堪能したいと思います。

 

以上。はあ、コメディの痛々しさを除けばとてもいい映画だったんだな。これ書いてて思った。僕、この映画わりと楽しんでたんだなあ。